◆リラ物語7(愛について3)◆

 

本当の愛、神なる愛、宇宙の愛。
それを語る時、甘く暖かくハートウォーミングな愛や利他に生き、誰かのために生きようとすることが愛という理解だけでは不完全なのです。

本当の「愛」を知るためには、苦しみや辛さ、痛みや苦しみさえも愛なんだよと言うことを理解することがとても大切です。

実はこの地球(今までの3次元の地球)に生まれ、私たちがいくつもの転生を繰り返してきた理由がそこにあるのですね。
苦痛や苦悩は、誰もが敬遠したいことですけど、その苦しみの中からしか得ることのできない重要な「感情」があります。

私たちはこれを知るために、今まで何度も生まれてきたと言っても言い過ぎではないかもしれません。
なんとも「ドM」な存在なのかもしれません。

人の痛みを、言葉や書物から知ろうとしても理解できない事の方が多く、同じ体験をしたもの同士でなければ共有できない痛みもたくさんあります。
そしてそれを知った(経験した)人の慈悲の厚みは、経験した事のない人には太刀打ちできないほどの違いを見せます。

そしてその痛みや辛さは千差万別、(心が決める)その大きさや種類も様々です。

そして、この経験は一つの人生(この人生)だけではなく、何度となく人間を繰り返し、日々を体験してきた過去世の記憶として私たちの心と魂に深く刻まれて来ました。

ですから、さっきのお話と矛盾してしまいますが、過去のどこかの時代に辛い実体験があった人にとっては、この人生でその痛みを体験していなくても、その痛みをリアルに感じ取れることもあるのです。

例えば小説家の中には、その膨大な過去世の経験を文章にしている人もいるはずで、恵まれた環境に育った作家であっても、辛い日々を送る人の心に響く文章を書き上げることもできるでしょう。

愛を知るために過酷を体験する。
「なんだかなぁ」と思ってしまいそうですが、これが今までの地球塾の大きな意味で、他のどのように次元の高い天体に生きようと、地球に勝るところは無いのです。

そんな日々を送る私たちは、頼もしい相棒が寄り添ってくれています。
それが「もう一人の自分」であるハイヤーセルフです。

でも、寄り添ってくれるとは言ってもハイヤーセルフは、生半可な助けなど寄越したりしません。
かなり厳しいのです。

必要であれば痛みを理解させるため思いもよらないハードルを目の前に設置することさえあります。
そして「その辛さや苦しさ、悲しさの意味を知ることが完全意識への道なのだよ」と言う声にならない問いかけを投げて来ます。

私たちが何かを「希望」した時、それが叶うためには、その希望に付いてくる「別の一面」も同時に体験させられるのです。
させられるといいましたけど、自分自身の深層自我が希望しているからなのです。

一つの苦しみや悲しみ、痛みさえも愛の一部だと理解できた時、ハイヤーセルフは「もう同じ事を自分の分身に体験する必要は無いね」と判断しその次に新しい体験にその人を連れて行きます。

これはこの人生だけでの体験だけではなくて、何度もの転生でそれぞれの課題をクリアしてきていれば同じ設問は出されないということです。

「愛」を理解するということ。
それは甘く温かい事だけではなくて、キツく痛いことを体験し理解する(自分自身がそれを体験してどんな「感情」を知ることができましたか)ということと同じことなのです。

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ちょっ厳しいお話かもしれませんけど、だからと言って余りのめり込み過ぎて
「辛い体験こそが自分を成長させる」
と、頭でっかちになはならないでください。

逃げたくなるのも、生きていればこそ湧き出てくる大切な「感情」です。
「ヘタレな自分、へなちょこな自分」を叱ったりは決してなさいませんように。
それこそ自分自身にも慈悲の目を向けてあげましょう。