今回はリラが持つ真のパワーに関して触れて行きたいと思います。
世界の神話に語られてきた女神の中に、リラを神格化したと思われる女神たちが多数語られてきました。
連想される女神を少し挙げておきましょう。
アフロディテ(またはビーナス、愛と美と性を司る女神)
サラスバティまたは弁財天(歌舞音曲の守護神)
マリアンヌ(豊穣、子孫繁栄を司る女神)
ハトホル(愛と美と豊穣と幸運の女神)
フレイヤ(愛と豊穣とゴールドの女神)
また既にお話ししてきました「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」も「ハワイ島の女神ペレ」も地質学的なエネルギーを「生み出す」と言う見方をすれば、これも誕生という愛を司るものと言う見方もできます。
リラが火山を司る女神であるとお話ししてきましたが、まさにそのイメージそのものです。
火山は静穏で静かに活動している時には人々に数知れぬ恩恵をもたらします、しかし一旦爆発的な噴火をすると誰にも止めることのできない激しい(時に破壊的な)面を持っています。
これがリラの持つ両面性です。
一旦覚悟を決めた時の意思の強さは、誰にも及ばない強固なもので、この女神たちに共通するのが、まさにリラを象徴する(女性的な愛と、激しさ)です。
リラを故郷にもつ(人類)女性たちの性格にも当てはまるところも多いでしょう。
普段はとても物静かで大人しく、清楚さや可憐さを垣間見せていますが、一旦感情が爆発したら(それこそよほどのことがない限り、一生に数度程度)その時には誰にも止められない激しさを見せます。
またこうした女神たちは、もう一つのリラの特徴である性的な愛を含む女神たちとしても語られてきました。
まさにそれがリラの女神たちの、もう一つの姿でもあるのです。
リラに意識を向けていると幾つかのキーワードが浮かんできます、特に音の響き(固有名詞)に中にリラを彷彿とさせるものがあります。
リリアン、リル、ライラック(リラ)・・・
その中に「リリス」があります。
この名こそまさにリラの一面を表すものの象徴です。
「リラ」を語る上でどうしても触れておかなければならない「リリス」
リラの持つ力の根源に触れるお話となります。
リリスを *wiki で調べると下記の様な記載が有ります(一部抜粋です)
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リリス(Lilith)は男児を害すると信じられていた女性の悪霊である。リリトとも表記される。
通俗語源説では「夜」を意味するヘブライ語のライラー (Lailah) と結びつけられるが、古代バビロニアのリリトゥが語源とも言われる。
またリリスは夜の妖怪か動物の一種であった(「夜の魔女」あるいは screech owl (鳴きたてるフクロウと翻訳されている)。
古代メソポタミアの女性の悪霊リリトゥがその祖型であるとも考えられている。
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こう酷評されるこの一文がリラ(女性性)を貶め、闇の奥に追いやってきた意識の根源とも言えるのかもしれません。
おそらくここに謳われているリリスは、悪霊などではなく、本来の女性性の体現者である「リラを故郷にもつ女性」たちを指していると思うのです。
愛に対する奔放さを持ち、極めて強いポジティブエネルギー(愛と性のエネルギー)を作り出せるリラの人々を封印するための方便ではなかったかと感じます。
女性の持つセクシーさは男性を惑わせ、楊貴妃やクレオパトラの伝承にある傾国の美女、妖しくセクシーな女性は男性社会を堕落の道に誘い込む元凶のように言われ続けてきました。
ルパン三世に登場する峰不二子でさえ妖艶な悪女と言う不名誉な扱いをされてきましたね。
またセクシーな誘惑を古来より修行者たちは「煩悩」と呼び、卑しく不浄なものとして洋の東西を問わず多くの宗教の中で疎ましいものとして扱ってきました。
自由奔放に生きる事を制限し、愛を語りその喜びに浸り生きるという本来人類に与えられて来た権利を、卑しく恥ずべきものとして貶めてきました。
今まで人は、どれほどストイックに生きることが善であり、聖愛(性愛)を語る事が不浄な事だと言われ続けて来たかを見れば、リリスを危険な存在として扱わざるえなかった男性優位の世界が見えて来ます。
本来天の摂理からすればすべての生命は心も肉体も何人にも囚われる事なく自由で解放されているものです。
でも反面、今までの3次元の地球は人類が様々な体験学習をする場所として天に認められた場所として存在してきました。
つまり制約と不自由さ、そして痛みや苦しみなどです。
そしてその「体験学習」としての次元にとって二元性の根幹である「男性性」「男性優位の社会概念」がとても大切な意識や価値観だったのでしょうね。
次元移行が始まる前までは、3次元という周波数を続けさせ、体験学習の場所であって欲しいと願った人類の総意からこうした制限や封印を行ってきた事なのですね。
また「闇の勢力」などという子供じみた都市伝説で「悪者や敵」を探す行為自体、暴力革命の扇動に乗せられて、拳を上げて自分を見失ってしまうことと同じになってしまいます。
振り上げた拳を「バラの花一輪」に変える力をリラは持っています。
今まで天の摂理の元に置かれた3次元地球が大きな変化を迎え始め、同時に女性(女性性)を卑しいものとして扱ってきた次元の終焉を私たちは目撃する時が来たのかもしれません。
押さえ付けられて来た女性性の復権の時代に入って来ている今、そこにリラが持つ愛(緩やかでノンビリとした恋愛や性愛、パートナーへの愛)の力が台頭してくる事は、むしろ必然の事なのだと思います。
今まで息を潜め自分を知られない様に、ひっそりと生きてきたリラを故郷にもつ人々の意識の台頭が、今までの男性性の世界の封印解きに繋がって行きます。
そして、リラを故郷に持つ魂たちの真のミッションこそ、女性性の解放に他ならず、リラの出身者である方のなすべき使命の一つという事になる筈です。